僕の幸せを考える時、妻の幸せを考えてしまいます。
僕が幸せでも妻が幸せでないと僕は幸せではないはずです。
その逆も。
僕の幸せは、妻の幸せでもあり、そして子供の幸せでもあります。
僕は、色々なことを経験して、人のために何かをしたいと思います。
それが、農業だったりします。
でも僕は、偉い人間になりたいわけではありません。
そもそも、偉い人間とはなんでしょう。
それは組織のトップであったり、誰かを踏んづけてものし上がる精神、もしくは成果の上で皆が崇める人のことをいうんだろうと思います。
僕は、偉い人にはなれないでしょう。組織のトップになるつもりもありません。誰かを踏んづけてものし上がろうという気持ちもありません。
成果もきっとないでしょう。
でも、僕は、それでいいのです。
いつか、僕が何かをして、僕が死んだ後でも、小さな花になればいいのです。
僕は人生の上で笑っていたい。楽しい時間を過ごしたい。微笑みを与えたいし、自分も笑いたい。
そして、僕が一番に笑わせたい人は、ブログを見てくれている皆さんではありません。
僕が笑わせたい人。
それは、妻です。
訳も分からず、結婚してから色々なことがあって、家族として妻として、共に歩んできたこの道。
今は、農業に進む道に繋がっていると信じ、歩んでいますが、妻も真剣に歩んでいます。
二人で目指す農業。
笑う人もいるでしょう。
止める人もいるでしょう。
でも、僕らは、これが幸せなのです。
これが僕らの幸せなのです。
そして、いつの日か、太陽を浴び、自分たちのハウスで育つトマトを見て、大声で笑いたい。
その時は、恥ずかしさも、何もかも捨て去って、ただ、ただ、自分たちの人生が間違いではなかったことを確信するために、思いっきり笑いたい。
今のこの現実が、全て嘘に包まれたことであっても、そこにあるのは、僕らのトマトがなっているという真実。
その真実に僕は、大声で笑いたい。
そんな想いです。