今日は僕の父の事を書こうと思います。
僕の父は料理人でした。と言ってもレストランのシェフでも日本料理店の板前でもありません。
北上の青柳町にあった古い居酒屋です。
お刺身だとか焼き魚なんかを出していた魚くさい居酒屋です。
それも時代の波には逆らえず、消えてしまいました。
僕が20歳くらいの事です。
家でも料理を作ってくれる事が多く、店が休みだった日曜日には父の料理がテーブル一面に広げられ、家族4人で食べるのが恒例でした。
今思うと、結構しあわせな家庭だったなぁと思います。
そんな父も僕が30歳くらいの時に他界しました。
料理をするぐらいですから手先はとても器用で、展勝地のレストハウスにあった「ひらた船」を図面も無いのに木を切断加工してミニュチュア版を作り上げました。
車もちょっとのことなら自分で修理してしまうし、僕が赤ちゃんの時には発明なんかもしたそうです。
哺乳瓶を飲むのをやめると自動的に口元から離れるようにする物だったり、車のワイパーの動きを利用して、自動で揺さぶってくれる揺かごも作りました。
実物はありませんが、母という証人がいるので間違いないでしょう。
アイデアと開発力と技術力もあるのに売り込みが下手くそな父。
友達のお父さんとはひと味もふた味も違う父でした。
どちらかといえば喧嘩っ早く、すぐにカーッとなる方で、勉強をしなかったりイタズラやゲームばかりをする僕は、「父=げんこつ」のイメージが未だに離れません。
その反動からか僕は喧嘩とか、暴力は嫌いで、権力や権力者には少し違った目線で見てしまう所があります。
そんな僕ですが、歳を重ねるごとに父に似てきた事を自覚しています。
どうでもいい所が似るもんです。似たくない場所も。
イビキだったり、くしゃみの仕方だったり、声だったり、薄い髪の毛だったり・・・。
僕と違って身長が高く、水泳が得意な父。
僕は身長が低く、泳ぎが苦手で陸上部でした。
体は父の方が一回り僕よりも大きい感じです。
父の体重は、最高で100キロを超えた事があると思います。
僕は身長が低いのでそこまでではありません。
もし、父が生きていればと考える事もありますが、僕の目指すトマト農家を発明やらトラクターの整備やリフォームや何やかんやでサポートしてくれたり、結構な活躍が出来たのだと思います。
欲しい時には居ないもので、声をかければ振り向く距離にいる時は、声をかけないもので、父親と息子はこんなもんだと僕は思っています。あくまでも僕の場合ですが。
料理も父の影響からか、子供の時から大好きで、トマト農家の次はトマトレストラン?なんていう妄想もあります。
実現はしないのでしょうが、家ではたまにシェフになったりして、妻と子供のためにパスタを作っています。
家族の誰かがトマトパスタを食べたい時は、99%は僕の出番です。
記事にはしませんでしたが、今年は自分のトマトでトマトパスタを作る事が出来ました。
食べきれない真っ赤なトマトを丸ごと冷凍して、食べる時に水で洗うと皮がぺろっと剥がれます。
そのまま皿か何かに入れてラップして電子レンジで加熱すると缶詰めのホールトマトみたいになるのでトマトソースが簡単に出来ます。
玉ねぎも挑戦したいし、ニンニクも作る予定だし、トマトソースの材料は全部自家製に出来そうです。
そんな事を考えて夜寝る前に記事を書いていると、あら不思議!あんなにお腹がいっぱいだったのに「よこせ、よこせぇー!」と今にも地響きのような「グ〜〜〜〜」が僕のお腹の中で騒ぎ出しそうになります。
このままだと、100キロ到達もありえちゃうくらいに食欲があるので、そろそろ寝ます。
トマト農家を一番喜んでいるのは、他の何者でもない「僕の腹」か。
そういえば僕の子供はトマトの年間消費量がハンパなく、大玉トマトなら5個位はあっという間に食べてしまいます。
トマト好きは僕の影響か。
僕はとんでもない怪物をこの世に目覚めさせてしまったのかもしれない。・・・。
来年の夏は、僕のお腹の怪物か、子供のお腹にいるトマト専門の怪物か、どちらが本物の怪物かを決めてやろうじゃないか・・・。
昭和の怪物か、平成の怪物。フフフ。今から楽しみだぜ。
変な事を書いてないでマジで寝ます。お腹の怪物が、今にも動き出しそうなので。おやすみっす。