お盆の「プチぷよ」は子供からお年寄りまで大好評でした。
気がつけばお盆に集まる親戚も増えたもので、それというのも、まだ小さかった僕らの世代もそれぞれに子供を持つほどに時間が過ぎ、おばあちゃんも元気でいる事に平穏な時間の流れを感じました。
30人にも膨れあがった集合体が山盛りのプチぷよを食べるのは「あっという間」で、僕がバーベキューで焼いたお肉に夢中になっている間に「パッと」魔法の様に消えて行きました。
この日の為に採らずに残していたプチぷよは、まさに完熟。
今まで食べたことのないほど「超プチぷよ」で、甘味も際立っていました。
まさか僕が農家になろうとは、小さい頃を知る親戚は思いもよらなかったでしょう。
でも、僕が作った野菜をバクバク食べる小さな子供らには、僕の存在は「プチぷよのおじさん」になったのだと思います。
これからは人に食べられる物を作る事に誇りを持って農業に励みたいと思いました。
「ビートたけし」のコメントで「芸術は食べ物の上で成り立っている」という言葉があります。
この言葉をテレビで見たときに「ハッと」しました。
食べ物は有って当たり前な世界が現在の日本です。この先、ずっとそういう時代が続けば平和で幸せでしょう。
ですが、何事にも永遠は存在しません。世界が平和じゃ無くなった時、農家が野菜を作れなくなった時、健康な野菜が育たない大地になる事も考えられます。
誰かが守らないと。
僕が思うには、最低限の幸せは食べる事が出来る事。もちろん家族がいて、自分も生きている。健康を維持できる環境というのもありますが、まずは食べ物が必要不可欠です。
なんとなく「幸せ」と「平和」は兄弟みたいなものだと思います。
平和だと幸せだったり、幸せだと平和な気がします。
食べ物も幸せと繋がっていると思うので、きっと食べ物も平和に繋がっているのでしょう。
食べられる事が当たり前の世界は平和です。でも食べるものが無くなってしまったら、一粒の豆で争いが起きる事もあるでしょう。
食べられる事があたり前の世界は、守るべき物です。食べる幸せ、食べられる幸せ。家族、親戚と一緒に食べる喜び、人を笑顔にする食べ物。
僕はそういうものを作りたい。守りたい。
この平和が永遠に続く未来を願います。