今日は朝から地域の交通安全に関する活動で、米里産直の付近のバス停近くで交通安全をお願いするグッズを掲げて米里から山を下りていく車と米里に来る車に向けていました。
下りる人、来る人の割合は5:1くらいの感覚でした。
みんな山を下りて高校に行ったり、仕事に行ったりしているので仕方のないことだと思います。
一方で来る人のほとんどが人首小学校の先生でした。
朝なので通勤時間での割合なので、こういうデータになりました。
過疎の現実は非常に厳しいです。
大きな工場や会社が町の方に出来ると、米里のような場所から働きに行きます。
すると、職場に近い方がいいので家を町で建てることになります。
過疎化の現実は簡単に言えばこういうことです。
これを町の引っ張る力というようです。
病院も町にしかありませんし、コンビニもスーパーも学校でさえも町にしかなくなっていくでしょう。
この大きな引力に立ち向かうのは無理です。
しかし、最近のテレビを見ていると高齢者が100歳とか90歳まで暮らすために必要なお金が2000万円くらいは必要という事でした。(よくわかっていないのでテキトーです。ごめんなさい。)
こんなに大きな金額を蓄えている高齢者は少なく、都市では家賃や固定資産税が高くて住めなくなるのが現実です。
都市は物価も高いので高齢者の暮らしには向かず、定年後は田舎に住んでスローライフを過ごす方が急増するでしょう。
余生を田舎で過ごす。非常に素晴らしいことです。
僕らのようにある程度若い人たちの移住も増えてきているようで、人それぞれが考えをもって行動をしているのがすごく面白いなぁーと感じます。
町の引っ張る力は、若い働き手を引っ張り、高齢者をはじき飛ばす現実は社会が機能していないことを意味していると思います。
社会も会社も組織と呼べるものは生きています。それぞれが意思をもって、人を手足にして幹部を頭脳にして生きています。
意思を持つのは人間を含む生き物だけだと思っていましたがそうでもなさそうです。
もはやAIを超す人工知能は組織という名の生き物なのかもしれません。
そういった生き物に負けないように、僕はこの田舎でしっかりと生きていこうと思います。
トマトを作りながら。